たちが育った研究所は小高い丘の上に建っていた。味気のないコンクリートの壁に子どもの背丈では背伸びしないと届かない小さな小さな窓があって、そこからは広い海が一望できた。埃と血にまみれた世界から切り取られたように、その青だけは輝いて見えた。キラキラ光る宝物だったのだ。



「懐かしいですか?」

「え?」

「あの頃君はいつも此処から外を見ていた」



ふと隣から降った声に驚き見上げると、骸はニッコリと笑いかけ、視線を外界に移して言葉を紡ぐ。それに習いも今は近くなった景色に眼を向けた。相変わらず美しい地中海の青。



「そうね、この景色だけは懐かしいかもしれない。あたしの宝物だった」

「では、今は?」



“だった”とは過去の言葉。それに目敏く反応して骸が問う。楽しげに細められた瞳と髪を撫でる指。その望むとおりの言葉を口にするのは癪で、だから嘘も本当も言わない。



「今も、綺麗だと思うわ」



しかし、宝物ではない。今では多くのものを手に入れ、そして逆に捨てもした。欲しがったのはけして美しいものばかりではなかった。



「もうあたしはあの頃とは違うのね」

「クフフ、そうですか?」

「何よ」

「いえ、ただ・・・僕の宝物は昔も今も変わらず君です」



にっこりと笑いかける骸の視線は今度は移ることなくに留まる。しかし、それは同時にを見ていることを意味しない。
骸の、左右色の違う瞳に映るのは幼い頃の。そして、そのさらに向こうに見えるのは知らない女の影。骸はそれを“”だと言う――前世の。







『あなたは何時でもそうやって空と海を見ているのですね』



あの時も、骸は今と同じようにして外界を眺めるの隣に立って、唐突に話しかけた。その瞳は外に向けられることなく、真っ直ぐにを見てるように思えた。



『昔話をしましょうか』



骸は逢う度にそうして語りだした。返事を返さないに向かって。
お話の主人公は毎回2人。例えどんな関係でもどんな立場でもどんな存在でも、2人がキスも手をつなぐことすらしなくても、それはどれも恋物語のようだった。骸があまりにも熱っぽく語るからだろうか?
そしていつも悲劇で締めくくった骸はに手を伸ばして言う。



『今度こそ手に入れます、僕の“―――”』



“―――”。
骸がに向ける、わけの分からない呼び名。それが好きではなかった。
大切な壊れ物のようにの頬に触れ、「貴方は僕の宝物ですよ」と囁く。優しい指も声も好ましいものであるのに、ただその呼び名を唇に乗せるたびに汚れていく気がした。にとって宝物とは唯一無二の物。そう、ただ唯一美しい海のような。しかしその呼び名は骸が過去に愛した存在の名前だろう。の物ではなかった。



『・・・名前で、呼んで』



初めて発した言葉に、骸は左右非対称の笑みを浮かべた。







「あたしは・・・今は宝物をまだ手に入れていないわ」

「おや、そうなんですか?」

「そう。ずっと欲しいのだけど」



今も、を介して不特定多数に送られる笑み。美しいとは思わなかった。しかし、自分だけのものにしたいと思った。







これはの知らないこと。
が死んだとき、熱を失っていくその亡骸に向かって骸は「」と呼んだのだ。



「愛してます。僕の“moroso”」



“―――”。
それは他人の名をあらわす言葉などではなく、骸にとってを示す代名詞。確かに骸は唯一無二の“”を見ていた。だがこれはの知りえることのない事実。
本当は伝えたかったこと、伝えられたと思ったこと、あまりにも無意味だ。どんなに通じ合っているように見える間でさえ、そこには曲解が満ちている。





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