行ってらっしゃい、気をつけて。 おぎゃあと生まれ出た瞬間にヒトが、生物が皆等しく平等に体験する。殻を突き破る、へその緒を切られる。それは今まで一部であったものからの離脱。生まれると同時に経験する――喪失。 特に何をするでもなく、ゆったりと暢気に歩く。マフィア、それも大ボンゴレの幹部という職業柄狙われることは少なくなかったがこの街は何処よりも安心できた。彼もそうなのだろうか。自分と同じくリラックスした様子で隣を歩く綱吉―今となっては自分のボス―に目線だけを送れば、当然のことその向こうにある通りも視界に入る。 「ぁ――」 「骸?どうしたの?」 自分の目を惹いたのは不自然に開けた空間。あの場所には確か小さな本屋があったはずだ。何時の間に取り壊されたのだろう?そう言えばこの道を通るのは随分と久しぶりのことだ。それを告げると綱吉は骸が未だ視線を送る空き地を見、得心いった様子で優しく笑った。 「全然お見舞いに行ってあげないからだよ。も寂しがるよ、きっと」 「だから、今日誘ってくれたんですか?」 「うん、まぁ――」 綱吉は最後言葉を濁したが、彼の煮え切らない態度は良くあることなので気にはならなかった。ただその優しい気遣いに苦笑する。 確かにソレはを想っての行動なのだろう。綱吉だけではない。仲間の多くが彼女を愛し、頻繁に彼女のもとを訪れる。骸だって彼らと同じように、それ以上に彼女を愛していた。だが眠り続け返事も無い彼女に、その日の出来事や思いを語ってやるほどロマンチストにはなれないのだ。そこに意味は無い。 また少し進むと小さな、だが美しく整備された公園を通る。休日の昼ということもあり親子連れが目立つ。その中でも人目を集めているのは大きな声で泣く男の子。母親らしき女性が何事かを囁くと拗ねた顔をして、抱きしめられれば途端に顔を綻ばせた。 興味深いというよりもむしろ不可思議と言った方が良い光景に思えた。 「子供と言うのはくるくると表情が変わるものなのですね」 「ああ…お母さんの前だからよけいにね。甘えてるんだろ」 「母親・・・」 骸が感慨深げに呟くと、綱吉はしまったという顔をする。それを見て骸は苦笑した。気にすることは無いのに、と。 母親の記憶はなかった。しかしだからなんだというのだろう。たとえ母を覚えていたとしても現在の、そして世界を壊そうとしていたあの頃の自分を形成することに大した影響を成したとも思えない。人間は女の胎から生まれる。しかし「土に還る」とはよく言ったもの。還る場所は母ではないのだ。 「骸…あの、ごめん」 「いいんですよ。別に僕はなんとも思ってませんし」 「でもお前、寂しそうな顔してるよ」 「寂しい、ですか?」 あの頃の自分はそんな感情、けして認めはしなかっただろう。 そこまで必要としたでも無いのに千種や犬や、を連れて施設を出た。彼らにとって僕は神で世界そのものであった。だけれど、僕は別にそんな大層な存在(モノ)になりたかったわけではない。ならば、何故? 「そうかもしれませんね」 今ならば認められる。そう、寂しかった。 生まれる瞬間与えられる喪失。それを補う術はなかった。『行ってらっしゃい』と送り出された後、受け入れてくれる温かい腕は見つからなかったのだ。 「人は、人は弱い生き物です。喪えば代わりを求めずには居られない。僕もまたその例外ではなかった」 「代わり?」 「そう。柔らかく耳を塞ぎ眼を覆う。僕は彼らや、に外界を見せないようにしていました」 他の魅力的なものを見つけないように、細心の注意を。彼らが帰りたいと願うのが自分の下だけであるように、と。 特に、にはそれを強いた。アジトに残していくことが増えた。本気で何も見えなければいいのにと思った。彼女の瞳に自分が映る、それがとても心地良かったから。 「それがいけなかったのか、間違いだったのか」 彼女はそんな僕の弱さと我侭を全て受け入れた。 あの日もそう、笑顔で『いってらっしゃい』と自分達を送り出し、帰った時には床に転がり永い永い眠りについていた。 願ったとおり、彼女の瞳はもう何も映さない。骸でさえも。 「また僕は、喪いました」 「――綱吉くん?」 それまで神妙な顔をして話を聞いていた綱吉が唐突に歩みを止める。そこは奇しくも病院の入口。図っていたのだろうか。 「間違ってなんかないさ」 「?」 「間違ってなんか無いよ。お前、だって代わりって言ったけど、彼女の代わりなんて探しもしなかったじゃんか」 「……」 「だから、傍に居たいって気持ちに間違いなんてないよ」 呆然とする骸を他所に、綱吉は院内に足を踏み入れることなく踵を返した。それでも動けない、動かない骸に痺れを切らして、彼にしては少し乱暴に言った。 「行けって!…きっと、逢えるよ」 「…ありがとう、綱吉くん」 きっと何か直感があったのだろう。だからきっと自分を連れてきてくれた。 ボンゴレの、彼の超直感を疑うはずが無い。熱に浮かされたようにして自分の足が段々と速くなるのが解った。あの頃もいつもこうして急いで戻った。光のように幸福で満たされた時間を僕は知っていたのだ。知っていたのだ、求めるもの。 無機質な白いドアの前に立って、鼓動を整える。もうこの時には予感が自分の中にもあった。 ドアノブに手を置き、回してドアを開ける。あの幸福感。 白を基調とした部屋の中では彼女の色だけが映える。身を起こして窓を見ていた彼女は僕を見つけるなり優しく笑って腕を広げた。 「おかえりなさい」 その腕に身をゆだねると優しく包まれる。ふわりと鼻をくすぐる彼女の香りに、頬を一筋の光が伝った。 「ただいま、」 僕が還りたい場所は、この腕の中だったのだ。 行ってらっしゃい、気をつけて。 愛しさをたどってお帰りなさい。 帰り道
帰る場所は見つかった? |