あれは、クラス替えをしたばかりのことだった。 『さん、僕にももらえるかな?飴玉』 友人達に飴を配っていたあたしにそう言ってきたのは話したことのないクラスメート。昨年は別のクラスだったけどその存在はよく知っていた。彼、不二周助はテニス部の天才の異名を持ち、さらにその容姿も影響して女の子達の憧れの的なのだ。 話すことなんてないと思っていた。だからその端正な顔立ちが自分に向けられたことにドギマギしてしまった。 『あ、うん。えっと…何味がいい?』 『じゃあ、青りんご』 差し出した飴を受け取った長い指も、“ありがとう”と微笑んだ仕草もとっても綺麗で。その日から不二君はあたしの胸に住み着いてしまったのだ。 恋をしてみたっていきなり人生が変化するはずもなく、不二君とはアレ以来話したこともない。 今日もあたしは不二君を思いながら飴玉を口に入れる。 「あー、またいいモン食べてるっ!」 「…」 後ろから抱き着いてきた親友を見ると“ちょーだい”とでも言うかのように手を差し出していた。その手にイチゴ味の飴を乗せてやる。 「ありがと」 それを口に含んで嬉しそうに笑っていたが、何か言いた気な面持ちでこちらを見る。 「何?」 「はまた青りんご?」 「……うん」 それは言外に“まだ不二君を好きなのか”という問いも含んでいて、あたしはその両方に頷いた。 「…言っちゃいなよ」 「無理だよ!」 「何を言うの?」 「えっ…?」 との会話に入ってきたテノールの声。 振り向くと予想通り不二君が居て、まるで前に話したのが昨日のことのように普通に話しかけてきた。 あまりに驚いて飲み込んでしまった飴の欠片は幸いにも小さくて、不二君の前で咳き込むという無様なまねは免れた。 「ごめんね、驚かせちゃった?」 「ううん、大丈夫。それより不二君なにか用事だったんじゃないの?」 「ああ。手塚が呼んでたから呼びに来たんだ」 「手塚君?」 あたしは何を間違ったか生徒会役員などやらされていて、そのつてもあってか生徒会長の手塚君とはよく話した。とはいっても仕事のないときは挨拶を交わす程度の仲で、今日は特に予定はなかったはずだ。 「うん。なんか次の総会の追加資料についてだとか言ってたよ」 「あー、それか。分かった。ありがとう」 「あ、待って。僕も行くから一緒に行こう?」 「…うん」 突然の申し出に断る理由もなく肯定の返事を返すと、ニヤニヤしているを不二君に見えないように睨んでから教室を出た。 「手塚君教室に居るの?」 「ううん、生徒会室に居るって」 何か話さなければいけないような気がして発した問いは一言で返せる類のもので、会話はすぐに終わってしまう。また話題を探してあたふたしているあたしを知ってか知らずか、不二君はクスクス笑いながら話を切り出してくれた。 「さんまた飴玉食べてたね」 「うん…不二君も食べる?」 「じゃあ、貰おうかな」 初めて話したときと違って、呼び方が“さん”になっていたことがなんだか嬉しくて、くすぐったくて、照れくさくて。それらを隠すように俯いて、ポケットの中の飴をごそごそと探った。 たった一つ残っていたそれは青りんごの飴。 「ハイ。…青りんごしかなかったけど良い?」 「うん、ありがとう」 その不二君の笑顔は変わらずキレイでたまらなく好きだと思ったけど、飴と一緒に飲み込んだ言葉は、のどに飴とともに張り付いていて出てこなかった。 もう少しで生徒会室というところで不二君の歩みがスローになって、あたしが訝しげに見るとニッコリと笑って言った。 「さん、青りんご味好きなの?」 「…うん、好き」 “あなたが”という科白はやはり出てこなくて、代わりに別の言葉をすえた。 「どうして?」 「いつも食べてるから」 その言葉にあたしは立ち止まってしまった。 「なんで、何で知ってるの?」 少し先へ進んだ不二君が振り向いて言った言葉に、今度は息が止まってしまうんじゃないかと思った。 「いつも見てるから」 「どうゆう、意味?」 「言葉通りの意味だよ」 そう言い残し、不二君は生徒会室に入っていってしまった。 呆然と立ち尽くしていると香ってくるのは甘酸っぱい青りんごの香り。喉で張り付いた飴が溶け出して、言葉になるのはきっともうすぐ。 (あたしにっとては甘酸っぱいアナタの味)
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