独占欲に支配欲。「愛」という感情はこんなにも凶暴なものなのだ。美辞麗句で飾り立てられた「愛」の、なんと陳腐で儚いことか。
「愛」とは高ぶる鼓動と、熱くなっていく身体だ。―欲だ。
破壊衝動と抑えきれない欲情。それを「愛」の定義だとするならば、僕はこの愚かしい世界に愛を抱いているのだ。この世の崩壊する瞬間を思えば、僕は興奮と熱の高ぶりと、絶頂の歓喜と快楽が襲うのを感じる。
―そして同種の感情がもうひとつ、あった。



デイモン・スペードから取り戻した自分の肉体。クロームの肩越しに見えた空はあの日と同じく青かった。世界の終焉の時も同じ色であればいいのにと、骸はただ一人のことを思った。



、もう少し待っていてください)




始まりは、ただの気まぐれ。暇つぶしのゲームであった。
人は概して「悪」に惹かれる。惹かれながらも遠巻きにして、羨望の眼差しで眺めることしか出来ない。骸は、己に向けられるその眼を嘲笑った。見向きもせず、しかし存分に意識はして。
彼女も、そんな愚かな人間の一人に過ぎなかった。しかし、彼女への嘲りは次第に形を変えることになる。



「骸、貴方は世界を壊すのでしょう?じゃあ、その時には私も殺してね」
「貴女が望むのなら、いつでも壊してあげますよ」



可愛らしい唇に似合わない願いに是を返せば、彼女はふわりと平和な微笑を浮かべる。
いつか彼女が語った。未来が重荷なのだと。義務や責任や使命でがんじがらめにされた人生を思えば、それは気の重いものだった。彼女は未来にある―いや、未来を閉ざす死を見据え、それ故に希望を持った。
骸は、それが逃避だと気付いていた。しかし、それ以上に彼女の微笑みは美しく、狂おしく、壊してしまいたくてたまらなくさせた。彼女の微笑みも涙も、心も肉体も、全て自分が壊さねば気がすまない。
骸は彼女を愛している。世界と同じに。








水の中にいるのと、空気に触れているのでは体感時間が違うのだろうか。水牢では遅々として進まなかった日々が、今は光の速度で過ぎてゆく。
自由を手にしたのなら、何をおいても彼女の下へ行くつもりだった。けれど実際は、何かと理由を付けて未だ訪れられないでいる。骸の足を重くさせるもの、その正体は恐怖だった。
しかし、その場凌ぎの理由など、いつかは絶える。ついに骸は彼女を訪ねる覚悟を決めた。



見上げた空は青く輝いている。それに照らされた地上に在るものは、醜いものばかりではなく、美しいものも数多あると今では知っていた。



(だが僕は、その中でもっとも美しいと思うものを壊さなければならない)



必ず殺そうと約束したときの、彼女の微笑み。それこそ骸が最も美しいと思うものだった。
約束を果たしても、反故としても、どちらにせよ永遠に失われる。
骸は壊す以外の愛情の示し方を知らなかった。「愛」とは欲望であり、欲望は奪う行為につながる。これまでの人生を呪ってみても、いま、己がとるべき行動は見つからなかった。





僅か一年にも満たない、ともに過ごした季節を追えば、彼女がいる場所はすぐに検討がついた。昼と夜が重なり合うその瞬間、海と空が溶け合う。それが一望できる丘の上の小さな公園。果たしてそこに、彼女はいた。



小さなベンチに座り込み耽る彼女の前に立つ。彼女はワンテンポ遅れて僕を見た。 驚愕に見開かれる瞳。そこから溢れ出る涙を、拭い取る資格が自分にあるだろうかと悩んでいる間に、気がつけば骸は彼女の腕の中にいた。



「骸、ごめん、ごめんね。ごめんなさい」



「あいたかった」と小さく呟かれたその言葉が耳に届くと同時に、骸も彼女を強く抱きしめ返した。腕の中で、とくんとくんと彼女の血汐が巡るのを感じる。この温もりを、命を、壊したかったのではない。そうだ、いつくしみたかったのだ。



、どうか僕を愛してください」

君以上に愛しい(うつくしい)ものなんて、僕には世界中ないのです。



二人でいれば、愚かしい世界も虹色に輝く、歩いていける。
春には鮮やかな花々が咲き乱れ、夏には翠が輝き、秋には月が稲穂を黄金に照らし、冬は白銀の中に暖かな光が灯る。輪廻とも似て、しかし優しく巡る世界。
全ての季節をともに。







ラグナロクの恋人
―――――人生の終焉まで歩もう。