海。
いつかその奥深くへと溶けてしまいたい。

海に行きたいと、ふと漏らしたらイザークは本当に連れだしてくれた。
車のハンドルを握っている間のイザークは何故だかとても無口で、機嫌が悪いのだろうか、何かあったのどろうかと不安になったりした。
だけど、視界が開けて見えるものが青だけになった瞬間、その顔にただただ純粋な歓喜が浮かんだのをあたしは見た。


「子供みたい」
「何だと!?」


ボソリと正直に口にする。
昔のように大声で怒鳴ることはさすがに無かったが、予想どおりイザークは端正な眉を顰めてあたしを睨んだ。
だけどそんなことに意味は無い。むしろ逆効果であることを彼は知らない。あたしはその突き刺さるような青の瞳がとてもとても好きなのだ。


「誰もいないのね、気持ちいい」
「・・・ああ」

彼の怒りを流すようにして海を見る。イザークも隣に並んで海を眺めた。その横顔を盗み見ると、瞳の中に鋭いけれど温かい、そんな輝きがあった。


「海、みたい」
「は?何を言って・・・」
「なんでもないわ。・・・ね、海入りたい」


疑問の声を途中で遮って、言った。
イザークは何を言われたのかわからないというような表情を形作った後、呆れたように言った。(実際呆れていたのだろうけど)


「何を言っているんだお前は」
「海に入ろう、って言ってるのよ」
「・・・本気か?」
「本気よ」


それからあたしはイザークを引っ張って進む。
コンクリートから砂浜へ、砂浜から海へ。
イザークは特に抵抗もしなかったけど文句を言っていた。無意味なものだときっとわかっていたのだろうけど。


「水着なんぞ持ってきていないぞ」
「このまま入ればいいじゃない」
「着替えだって持ってない」
「濡れて帰ればいいわ」

「車だから大丈夫よ」


たしなめるように名を呼ぶ彼を連れ、さらに進む。
イザークは軽くため息をついて、少し待つように言った。
そしてシャツだけを脱いで近くにあった大き目の石の上に置いた。お前も上着だけ脱げと言うのであたしはそのとおりに薄手のカーディガンを脱いで彼に手渡す。それはイザークのシャツと重ねて石の上に置かれた。 重なったそれらは相容れないうつの別々の物質だった。(ついでにそこで裸足になった。靴も靴下もやはり別々のモノとして重なった。)


「行くぞ」
「え?」
「・・・海に入るんだろうが」
「うん」


今度はイザークの方があたしを海に誘う。
つま先が青に触れた。
足が飲み込まれ、腰、胸までが青に浸かる。足はついている。


「結構冷たいわね」
「もう秋口だからな。・・・どうする?泳ぐのか?」


進むのを止めてイザークは尋ねた。あたしは首を横に振って否を示す。
水は冷たく、だが切りつけるように痛くはなく、温かくあたしを包んだ。


「ねぇ、イザーク。あなたの瞳は・・・ううん、イザークは海みたいだね」
「いきなり何を言ってるんだ」
「前はね、冬の空や空気みたいだと思ってた」


冷たくて、切りつけるように厳しく、輝きは鋭利で、それ故に美しかった。
でも、今は水面のような輝きが瞳の中にあった。厳しさは相変わらずあって、しかし優しく他者を包み込むのだ。この、海のように。


「ねぇ、あたしはこのまま海に溶けてしまいたい」

貴方の瞳の青の中に。

「俺は、お前が、が死ぬのは嫌だ。だからそんなことを言うな」


イザークはあたしを強く抱きしめて少し的外れなことを口にした。
少しだけ可笑しくて、でも笑ったら怒るだろうなと思ったから、腕の中で見えないように微笑んだ。
イザークの身体は熱くて視界には青しか無くて、まるで溶けてヒトツになれたような錯覚をしてしまう。でも、それ故にあたしたちは別々のモノなのだろうと思った。


「イザークあったかいね」
「俺にはの方が温かい」


イザークの濡れた背中に手を回すと、なるほど確かに冷たかった。

あたしとイザークと海。
それぞれ限りなく近く存在しながら3者は確かに別々に存在していた。

もう溶けてしまいたいとは思わなかった。
熱と冷たさへの愛しさをただただ感じていたいと思った。


(慢性的な寂しさと急性的な思考がもたらした奇跡)
title by 少年はにびいろの夢を見る 様。